ムジくら

HSPの主婦が人生を深く考えたり研究するブログ。

はじめて死を意識した出来事。

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今でも鮮明に思い出すこと。

20代前半の頃、一度「一歩間違ったら死んでいたかも」という体験をしたことがある。

何の根拠や確証もない何とも不可思議な事件なのだが、あの時の感覚は20年ぐらい経った今でも年に何度か、ふとした瞬間に思い出す出来事だ。
多分これは一生忘れてはいけないことだと感じているので、備忘録として記事にしておきたいと思った。

あれは20代前半で、社会人になって間もないアルバイト生活をしていた頃。まだ夫のぱんださんと出会う前の話。

近所(と言ってもチャリンコで10分15分ぐらいの場所)に、新しくユニクロの大きな店舗ができたのだ。

当時のユニクロは今ほど当たり前に誰もが着ているわけではなく、まだ人気も出てきたばかりの、フリースが大ブームになった最初の頃だ。

今ではある程度のカラーバリエーションや可愛い柄ものなんかも当たり前だが、当時はフリースというもの自体がたぶん他にあまりなかったし、色鮮やかなカラーのフリースが珍しくてどの色を選ぶか真剣に悩んだものだ。

そんなユニクロに、バイトが終わった後の夕暮れ時、当時高校生ぐらいの妹と一緒に自転車で買い物に行った。何色を買ったかまでは覚えていないが、多分お気に入りのカラーのフリースを買った帰り道。

自転車をゆっくりこぎながら妹と何か喋っていたと思う。東京下町の、人通りの少ない薄暗い細い道からちょっと車が通る太い道に出た所で、そこの横断歩道には押しボタン式の信号機があった。その時、わたしは話に夢中になり信号機をまったく見ていなかった。

何も考えずそのまま進もうとしていたとき、自分の意識とは別で右手がキュッと自転車のブレーキを握った。別に止めようとしていなかったので「え?」と思ったその瞬間、目の前をけっこうなスピードで大きなトラックがギュンと横切った。

一瞬、あたまの中が真っ白になって、そのあとゾッとした。信号は赤だった。

もし右手がブレーキを握っていなかったら、完全に轢かれていたと思う。あの時のトラックの速度と距離感と、目の前をぶわっと通った風の感覚は今でも思い出すと青ざめる。

そこで一歩でも前に出て轢かれてしまったら、当時の妹はひとりでは何もできない子だったし、パニクって途方に暮れて泣くしかできなかっただろう。ひとりで家に帰れなかったかもしれない。目の前で姉が無惨な最後を遂げたら、どれだけ心の傷を負っただろう?両親や親戚も悲しませてしまうのかな?と、あとからどんどん心底おそろしい気持ちになった。

その当時は自分の命についてはさほどどうでも良かったが、周りには迷惑はかけたくなかった。本当に轢かれなくて良かった。

それと同時に、なぜか頭の中にふわっとおばぁちゃんが思い浮かんでいた。高校生のときにがんで亡くなった父方の祖母。

何故だか説明はできないが、その時「あ、ばーちゃんが助けてくれたんだ」と感じたし、それ以外ないと思った。不思議な感覚だった。

まだこんなところで命を落としてはいけないよと言われた気がした。

そんなことがあったので、それから交通事故にはめちゃめちゃ気をつけるようになった。信号はしっかり見て、赤になりそうだったら無理せず次の青を待つ。青だろうと油断はせずに、急に車が突っ込んで来ないかしつこいほど右左を何度もよく確認する。

やっぱり誰でも10代20代の頃ってそういうちょっと何も考えてないというかイキってるというか人生舐めてるような時期っていうのがあって、大人の話なんか聞かなかったりするけど、

最近の子たちは、自転車に乗りながら音楽を大音量で聞いたりノイズキャンセリングだとかで外の音が聞こえなくなるなんて本当に危険極まりないと思うし、自転車に乗りながらずっとスマホを見てるなんてもってのほかだ。

そういう子を見かけるたびイラッとしてしまうのはあの頃の自分への戒めなのか。恐ろしくて、わたしが親だったらこのエピソードを添えて「危ないから絶対やめて!お願いだから」と叱るかもしれない。

勉強とかできなくても怒らないし、いい大学とかいい会社とか行かなくてもうるさく言わないけど、命だけは、本当に大事にして欲しいと思う。

スマホなんかあとでいくらでも見れるんだから。外を歩いたり自転車に乗ってる時ぐらいはやめよう?

ほんのちょっとの不注意で簡単に命を落としてしまうかも知れないという現実を、もっと真面目に考えてみてほしい。周りの大事な人につらい思いをさせないためにも。

この出来事は、とにかく頻繁に思い出す。そのたびおばぁちゃんにお礼を言いたくなるが、大人になってからはもうだいぶお墓参り出来ていない。
ちょっと遠い場所なので(たしか千葉県だったかな)行くときはいつも家族で車で連れられて行っていたし、正確な場所を知らないのだ。

そのうち両親にちゃんと場所を聞いておいて、お参りに行きたいとは思っている。なかなか行けなくてごめんね。ばーちゃん、ありがとう。お陰でわたしはまだ生きているよ。

あのとき守ってくれた命で、今はほんの少しでも何か誰かの役に立つことができればいいなって思ってるんだ。
20230427@negitoro.