いつものように。
SNSを開くと、「これをすべき!」とか「〇〇しなきゃ損する!」という文字がたくさん目の前に飛び込んでくる。
これまで、ブログやSNSからも自分の知らないことも沢山得たり参考にしたり、生きるヒントをたくさんもらってきた。
でも、なぜかそれらの文字があると避けたくなる時がある。見るだけで、しんどい。
もう頭の中がいっぱいいっぱいでこれ以上無理です!という状態なのかな。
そういうときって、「~べき!」を多用する人が無理ーってなってることが多かったりする。価値観の押し付けが苦手だ。
文体からにじみ出る高圧的な感じが苦手なのかな…。ちょっと「偉そうにしすぎ感」がイヤなのかも。そういうのって大抵プロフィール見ると20代ぐらいだったりする。
あまりに一方的な主張をする人が多くて、「それは貴方の場合ですよね?でも、ぜんぜん環境が違う人もいるんですよ…」と言いたくなったりもしますが、それを心の中に押し込めて、ブラウザをそっと閉じる。
モヤモヤだけが心に残る。
これまでたどってきた人生の時間や環境、経験してきたことが全然状況が違う人のことはそう簡単には理解できないし、わたしにはわからない領域も沢山あるんだろうなぁとは思うけど、また逆も然り。
致し方ないことだと思います。
でも最近は人生の経験が少ない若い子ほど何も知らずに大人の言うことをバカにして偉そうにドヤってるのが目立つ。
わたしも少なからず、その年代の頃はそういう部分もあったし気持ちはわかるけど、最近の人のそれは昭和の頃とはちょっと質が違ってきているようにも感じる。
わたしはこの年になってみてはじめて、「もうちょっとあの頃、親とかまわりの大人の言う事聞いていればよかったなぁ」と思うことも、正直わりとあったりする。
時が経つにつれ、わかることもある。環境や考えは変わっていくこともある。
実際に経験はしていないのに、ネットで効率だの回答や成功法を知ってそれをなぞっただけで自分はすごい人になって何かを成し遂げた気になっている人が多くて、それがネットを通じて見えてしまう時代。
それもこれもネットやSNSの加速のせいでは無いか?どうしてこんな時代になっちゃったんだろ。
良いものだけを見れたらいいけど、見たくないものまで見えて、知らず知らずのうちに嫌なモヤモヤが蓄積されて、心に重くのしかかっていく。
物事を深く考える。
HSPの気質には「物事を深く考える」「物事の本質がパッとわかる」みたいなことがあるそうです。
物事の考え方が深い:Depth of processing
人に対する感受性が高いので、お世辞はすぐに見抜いてしまい、浅い人間関係を好みません。
物事を深く考えるため、行動するまでに時間がかかります。1を聞いて、10を想像して考えられる思考力を持ち、調べ物をする際も深く掘り下げることができます。
わたしもこんな感じで、自分に全く関係ないことでもつい「どうしてこうなるんだろう?」「でもこれって、こうじゃないかな?」と、深く考えたりする。
その結果、頭の中がごちゃごちゃいっぱいになって、疲れきってしまう。
インターネットは、上手に使えばとても便利なものですが、いらない情報まで目に入ってきやすいです。
最近では日常的に、当たり前のようにネットをチェックする癖がついてしまっているけど、実はそのほとんどが「別に知らなくても自分の人生にはさほど関係のない情報」だったりもする。
この前も、うっかりHSP気質についてのページを開いてしまい、HSPのことを全く知らない人たちがHSPの人のことをボロクソ言っているのを見てしまいました…。まだまだ世間にはこんな人もたくさんいるのかな…と、こーゆーのが地味にショックで心に重くズーンとくるんですよね。
見なきゃよかった(´;ω;`)…
HSP気質の場合、そういった「日常の当たり前」からいろいろと刺激を受けすぎてしまうところがあるように思います。ただでさえ、人より敏感なのに。
刺激を受けてもサラリと流せればいいんだけど、それができず、クソ真面目に深く考えすぎてしまう流れです。
自分から「何かを知りたい!勉強したい!」というときは、ネットを大いに利用するほうが便利だし助かるし非常に良いのですが、特に目的もなくダラダラと見てしまうのは「嘘か本当かわからないものや、無駄な情報、すでに知っているものばかりで時間がもったいない」と感じるようになりました。
これは40過ぎたからこそ感じることでもあり、自分も20代30代はまだまだ知識も浅くもっとネットに依存していたし、それが無駄とは思っていなかったです。
その頃よりは経験を重ね、ある程度の知識も増えて色々乗り越えてきて、世の中のしくみや先のこと、周りの流れや景色なんかも昔よりもよく見えるようになってきた今だから感じること。
やっぱり自分で経験してみることは本当に大事だし、自分の力で試行錯誤して回り道とか、失敗することも必要なんです。
最近は気分や調子が悪いなぁと感じるときは、無理せずしばらくネットを遮断して、好きな曲やラジオを聞きながらゆったりしたり、好きな本を読んだり手帳を書いたり、趣味に没頭する時間のほうが、よっぽど自分の精神や人生の為にはプラスになったりするということがわかってきた。
気持ちがホッと安らぐ時間が必要なんだなぁと思います。
今の時代、ネットを全く使わないのは無理だとしても、ミュートしたりブロックしたり見たくない情報はなるべく目に入らないように上手に工夫はできる。
最近の人類は、ちょっと電気に頼りすぎているということもある気がするので、大げさに言うと「原始時代に戻ってみる」ぐらいの気持ちが必要になってくる時期なんじゃないかなって感じてます。
ここのところ、台風や水害、大きな地震や異常気象などの心配もありますし、日本でも戦争などにいつ巻き込まれるかわからないみたいな不安定さがあります。コロナもまだまだなくなる気配はないし。
なんとなく昔から世の理として行き過ぎた文明はいつか壊れると思っているし、
絶対に安全な場所とか、完璧な平和なんてないんだなぁ、って気がしている。
普段からネットに依存しすぎていると、ネットやSNSが全く繋がらなくなった時、かなりのストレスやパニック状態になってしまう恐れもあります。つながらないことの不安から、パニック症とか不安神経症、うつ病になっちゃう人も多いかも知れない。
(わたしは20代の頃1度パニック症みたいになって、電車に乗れなくなった時期があります。電車に乗るとめまいとか吐き気とか頭痛で、怖くて乗れなくなるやつ)
少し、ネットから離れる。
わたしの世代は、まだ人生の20年ぐらいはSNSがなかった時代も過ごして来ているので、わりと「ネットはあれば便利だけど、なくても生きていける」ということを知っている人も多いとは思いますが、
平成~令和の生まれたときからスマホやSNSが当たり前にある世代の方は、色々と精神的な意味で大変なんじゃないかなぁ。
「ネットがないと生きていけない」っていう感覚の子もいるのかも知れない。身近に若い世代がいないので、あくまでわたしの想像でしかないのですけど。
でも、ネットって意外と毎日そこまで頻繁に見なくても大丈夫なんだよね。
(お仕事とかの場合はまた別だけどさー)
実際、現在はほとんどInstagramは開かなくなったし、Twitterも始めた頃よりは見たりつぶやいたりする頻度は全然減っています。(逆に初代のアカウントの頃はめっちゃ呟いてたけどwMHF時代w)
見なくても何も支障なし。これからも、今まで当たり前にダラダラ見ていたような無駄な時間は意識して減らしていきたい。
HSPに限らず、心や精神がいっぱいいっぱいになっちゃってるひとは、1度、ネットから距離を置いてみることをおすすめしたいです。だらだらスマホを見る時間があるなら、ゆったり散歩とか、空をぼーっと眺めたりだとか、そういう時間の使い方もアリだと思うのです。
わたしは学生時代、「晴れた日に土手で川を眺めながら好きな曲を聴いてその世界観に没頭する」というのをやったことがありますが、とても気持ちがやすらいだのを覚えています。大人になるとそういう時間も減ってしまうと思いますが。
そういう若かりし頃の気持ちを取り戻すのも良いのかもしれない。
何が言いたいのか明確な結論とかまとまりはないけど、
日々こんな感じで物事をぐるぐる考えてしまい、非常にぐったりします。
上手に頭を休めれるようになりたい。
20220824@negitoro.
(※この記事は、2022.03.24.に書いていたものを加筆修正したものです)